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[対談 書と感性-第3回-] 掲載:2006/9/2 聞き手:松里 鳳煌(也太奇代表) 語り手:野尻 泰煌(泰永会代表) 原稿:書藝要説第十七号より抜粋 * 出来る出来ない
野尻 十人いれば十人が出来るようになるね。ただし、こと細かく、一つ一つ徐々にやっていけばだけど。 鳳煌 誰でもですか。そこに才能やセンスは影響してこないのですか。 野尻 皆さーそうやって初めに出来ないこと、出来ない可能性を考えるよね。やる前から諦めたり、少々やったぐらいで諦めたり。私には才能が無いとか言ったりね。真に才能なんてあったら、その人は天才だよ。世間で言うほどね、天才なんてホイホイいないんだから。あれは誇大広告。どれ見たって、何聞いたって駄作ばかりじゃない。私たち凡人は、着実にやるの。多くは『○○が無い』という先入主で自分をがんじがらめにしていると思わないかい? 鳳煌 んーそう言われると最もな話ですね。諦める言い訳を用意している・・・。自分は駄目じゃないんだっていう、自己弁護を用意しているんだと。 野尻 三千年前の中国にこんな話があるよ。当時は殷王朝で、帝は即位した時に優秀な補佐役を探していたんだけど、人材がなかなか見つからなかった。よほど思いつめてたんだろうね、遂には夢にまで見ちゃったそうだよ。夢の中で聖人に出会ったそうだ。その翌日、帝はこの聖人を探し始めるんだね。挙句には、その聖人の似顔絵まで画いて、国中に布令を出す。 鳳煌 部下からしたら迷惑な話ですねー。 野尻 どうなったと思う? 鳳煌 夢なんだからいないんじゃないですか。 野尻 それがいたんだよ(笑)。 鳳煌 えーーー。 野尻 男の顔を見たとたん、驚きのあまり『これだっ』と、叫んだらしい。しかも話し合ってみるとまさしく聖人なんだ。 鳳煌 えらく嘘臭くないですか〜? 野尻 それがね、彼は岩窟の土工だった。 鳳煌 聖人じゃないじゃないですか(笑)。 野尻 帝からしたら土工という先入主もないから、とにかくいたって言うんで大喜びだよ。 鳳煌 うはー迷惑な話ですねーーー。 野尻 ところが、彼は殷の国をよく治め、名宰相とまで呼ばれるにいたったんだよ。そこで後に、こう帝に語り聞かせるくだりがあるんだ。 鳳煌 面白いですね〜。でも、彼も必死だったんでしょうねー。生半可な努力じゃなかったんじゃないですか。だって、下手すら死罪になりかねないでしょうから。 野尻 まー彼の心情はわからないけど、これと同じような話が旧約聖書・創世記にもあるし、アラビアンナイトの千夜一夜にもあるんだ。ようするに僕が言いたいのは、大切なのは『その気』ってこと。テレビで言う頑張れば誰でも出来るとは意味が違うよ。正しい道筋を歩んで、気概さえ失わなければ辿り着くってこと。時間はめいめいかかるけどね。現代はとかく速度を気にして他人と比較するけどさ、頂につけば皆同じことなんだよ。逆に時間がかかっていない人には、気づかないこともあるんだ。 鳳煌 なるほど。そういえば、昔ですけどストレッチのインストラクターに言われたことあります。私は昔っから、めっぽう身体が硬いんですよ。笑っちゃうほどに(笑)。私の友達がやたら柔らかくて上手なんですよ。インストラクターと二人になった時、いったんです。『あの子みたいに柔らかいなら苦労しないのにな〜』って。そうしたら、インストラクターが、『ここだけの話、あれだけ何もしなくても柔らかい子は行き詰るよ。硬い子の方が、無理をしないし、どこをどうすれば、どうなるか。それを身体を通して体感するから遙かに伸びるよ。だから四の五の言わずにやりなさい!』って。当時は気休めかーっと思ってましたけど、あれは本音だったんですね。 野尻 それだよまさに。何でも同じなんだねー。皆それぞれ弊害があって、それが人それぞれ違うってだけなんだよ。よくあることだけど、表面的なことしか見えていない。自分を柔軟に対処していくとすれば、考えようとするよりも、どう感じられてくるかの方が先決だね。些細な力でも変ってくるものだよ。だから感性は悟性よりもまして育むことが一番だということにもなる。それで大きく自分をよい方向へ進めていくことにもなる。 鳳煌 磨くには最上のモノと常に接する。日常からですね。 野尻 そう。レベルの高いものに接することが感性を磨く。それと逆も真なりということもある。何が自己の感性、直感に触発されるか、自分がわかっていないって人よくいるね。 鳳煌 そうですね。自分のことを客観視できることってそうはないですね。私も、人のことは結構気づいちゃうのに、自分のことは超鈍感ですから。 野尻 何が自己の直感に触発されるかという点で、こんな話があるよ。ロシアのある町で、乞食の爺さんが、気の切り株の欄に座って、ブーブーっと、口で喋っていた。喋っていたというか、音を出していたんだろうけど。そしたら周囲の子供達が集まってきて、その音を聞いて喜んでいる。夕方になって子供達は家に帰るんだけど、そのブーブーって音に触発された一人の子がね、家で真似をしたんだ。すると、母親に叱られる。 鳳煌 下品だ!ってな感じなんでしょうね。 野尻 でも子供は止めようとしない。 鳳煌 まー親としたら、美しいクラシックでも奏でてくれたら安心なんでしょうけどね。 野尻 そうそう、ドイツ、オーストリーのロマン派のような音をさ、ピアノで奏でてもらえれば安心なんだろうけどね。ところがね、その子が後のストラビンスキーなんだよ。このブーブーを真似て止めなかった子がね。 鳳煌 あれま! 野尻 彼の師はリムスキー・コルサコフといって、彼が徐々に自分の語り口になっていくと、認めようとしなかったんだ。ところが、その語り口こそがストラビンスキーなんだよ。 鳳煌 自己の審美感を通した結果がそうなんですね。 野尻 ただし、自己の審美感にしがみついていただけじゃなく、彼は先人の優れた古典にも接していたんだ。 鳳煌 ははーなるほどねー。やはり自分というベースを持ちながらも、優れたものにも接していた。吸収した上で昇華させたわけですね。 野尻 そうだよ。自分の知らないこともあることを充分に知って、自己を高める。食べず嫌いでは自己を高めることは無理だからね。自分の感性を磨くうちに、その段階に応じてわかるようになってくる。そして更なる感動を求めて磨く。この繰り返しだよ。 ※本紙に掲載された”感性と勘”の章は割愛いたしました。 終わり
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