[対談 書と感性-第2回-]

掲載:2005/11/21

聞き手:松里 鳳煌(也太奇代表) 語り手:野尻 泰煌(泰永会代表)

原稿:書藝要説第十七号より抜粋

*

感性と性質の融合

 
野尻 この前ね、母校に寄ったんだよ。


鳳煌 先生もよく母校訪よる気になりますね〜。


野尻 なんとなくだよ。誰かいるかな〜と思って書道部の職員室を覗いたら、友人がいてね。それから二時間書道の授業参観だよ。


鳳煌 えぇ?なんですかそれ(笑)。


野尻 漢隷を書いていたけど、えらく下手でね〜。


鳳煌 先生の学校の生徒さんって・・・。


野尻 ズボンが半分ズレ落ちててね、ボタンは二、三外しててさ、前髪は半垂らしで、眉細くてね、立つ時も七三で構えている。そんな生徒が一杯だよ(笑)。


鳳煌 そうでしたね。


野尻 まぁ、友人の話では、その日はやけに真面目だったらしいけどね(笑)。


鳳煌 あははははは。


野尻 仲には結構うまい子もいてね、トッポイ学生がうまいということを発見したよ。


鳳煌 えぇ?そういうものなのですか。


野尻 まぁ高校生だから、技術的には到底未熟だし、書もやっていないだろうから、その点を省いて見ての話だけどね。


鳳煌 なるほど。


野尻 ただ、その中でもキラリと光る子が数人はいたね。顔を見ると書とは縁遠くて、どう見ても退屈な様子だったよ(笑)。それでもすこぶる感性は良いね。そうした才能を一生涯に渡り気がつかないまま終わってしまうんだろうな、と思いながら彼らの顔を見ていたよ。


鳳煌 その辺は出会いという運命ですね。才能はあってもそれを導く者がいなければ開花しない。


野尻 感性というと、親も本人も気づかないもんだよ。何せ、出来上がったものは素人そのものだしね。だから素人眼では下手にしか見えない。才能を見抜くことが出来ないという残念な仕儀に終わるケースも多い。


鳳煌 今の日本には本当の意味では指導者、導ける者が少ないんです。


野尻 ベートーベンにしてもそうだよ。


鳳煌 ベートーベンですか?


野尻 彼は子供の頃にモーツァルトの所へ一度だけ行ったことがあってね。そこに来る子供達は皆すこぶる上手なんだ。ところがベートーベンだけが、ジャカジャカと出鱈目の好き勝手にピアノを弾いている。素人が聞いたら『なんだい、あの子は行儀が悪い』程度で済まされ、おん出されただろうね。ところが、モーツァルトは聴くなり彼の類稀なる才能を指摘したそうだよ。


鳳煌 へ〜てっきり子供の頃からうやうやしく弾いていたんだと思ってたんですが、違うんですね。


野尻 だから素人判断は怖いんだよ。本来の才能を封じかねない。こういう話は枚挙に暇がないと思うよ。


鳳煌 やはり出会いなんですね。出会いが運命であり、運命は出会いで決まると。それにしても、書にそこまで人間の性質って出るものなんですね。


野尻 そうだよ。書によって感性が得られることも、その逆もあるということ。


鳳煌 そうなんですか。


野尻 感性が育まれるということはそういうこと。体で覚えるということであって、頭で把握するよりも大切なことなんだよ。


鳳煌 だから、時代が荒んでいると自然と人も荒んでくる。


野尻 当然だよ。だから怖いんだよ。普段何を見て、何を聞いて、何を繰り返しているか。はまるよ、怖いぐらいに。ところが今はもっと怖いんだよ。


鳳煌 何がですか?


野尻 ”知”を働かせるでしょ。


鳳煌 また出ましたね。とことん現代と知というのは密接な関係といいますか、悪影響があるんですね〜。


野尻 知を働かす者は、美への全き理解を得ることが出来ないと、柳宗悦も言ってるけど、その通りだと思う。だから、見ることが出来るというのはね、知る以上に識ることが出来るんだよ。


鳳煌 思い起こしてみると、日本は昔からそうでしたね。習うより慣れろ、師匠の技を見て盗む。まさに日本の全てに通じる伝統でしたね。


野尻 それを、書をやることで磨かれるんだ。感じ取る力が養われるんだよ。書は特に『見る』能力を要求されるから、自然と鍛えられる。なんか、まるで事務局長得意の宣伝文句みたいだよね(笑)。ほんとはこういう手前味噌的なことは言いたくないけど、事実なんだからしようがないんだよ。上手な言い回しはないかい?(笑)。


鳳煌 それが事実ならそれが最上ですよ。普通宣伝文句っていうのは劣っているから誇張するんであって、事実が凄いのであれば、それを誇張する必要はない筈ですから。


野尻 まー書をわかるっていうのはそういうことなんだと、言いたいんだ。誰しもがホイホイとわかるものでもないし、知を働かしているようじゃ到底把握出来ない世界なんだよ。現代はその点で感性が衰えているかもね。書の鑑賞ができるかって言われたら・・・正直疑問だね。


鳳煌 書って、そのまんま字であり、黒と白であり、緻密でも複雑でもない、当たり前に見えてしまいますからね。


野尻 平易と思われるものの中に美がある、ということだよ。


鳳煌 日本人にとって書は極めて最も平易と言わざる終えないです

よね。何せ小学生の頃からわけもわからずやらされてましたし。


野尻 古来『大楽は必ず易なり』というのがある。これは、偉大なる音楽は、必ず平易であるという意味。書においても同様で、書聖といわれる偉人の書だって、見かけはそんなに変わってもいない、平易そのものの書だよ。一見、平易に見えても深遠な高身があるということ。


鳳煌 奇妙なものが奇妙に見えるのは当り前・・・よくおっしゃりますよね(笑)。


野尻 奇妙なんだから(笑)。奇妙なものが奇妙に見えないとしたら、そこまで見る力が後退しているということ。全てに影響するよ。
 

つづく

 

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