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[講義 書の見方を教えて-前書き-]
掲載:2003/1/21
著作:野尻 泰煌(たいこう)
原稿:オリジナル
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こんな言葉を最近ではそこかしこで聞くようになった。正直私は困ってしまう。何か受け答えをしなければという思いと、どうせ話したところで理解されないという思いが同時に錯綜する。言うことはいつも同じで「書を見てよければそれでいい」としか言いようが無いのが本音であろう。あとは書を実際に体験・会得する他に方法はなさそうだ。
一般社会の中で、時代が毛筆を使わなくなって久しい。毛筆にかわる鉛筆・ボールペン、現代ではパソコンが主流を示している。時代の流れに毛筆はいまや実務レベルでは皆無になった。そうした現実で、かたや書の分野が伝統芸術として歴然と存在していることも衆知の通りである。ここで一つの社会的な大きな断層が生じてくる。時代と共に結果として毛筆から離れてしまった実社会と、書分野のギャップが埋まらないのだ。むしろその格差がより拡大する現状で、一般社会人の書的水準は低下の一途をたどるとも言われる。が、止む終えないと私は思う。
嘗て、そうマルティンルターの宗教改革以前は、絵画・彫刻も建築の一部だった。古来音楽においても詩・舞といった三位一体の共存だった。近代になり分業化の度合が進んで今日にいたっている。今現在、書においても同様な点で考えられる。とかく分業化の度合いが進むにつれ、いろいろな点において歪みが生じるものなのだが、書においてはそれがより実用と密着していた為におこる弊害も少なからず感じられてくる。書は一般的に日常として毛筆を持ち実務で使われてきた。その延長線上に高められた精神文化の頂きが存在していた。現代ではその片方の部分が気迫な現状をむかえてきている。
このような社会性で、現代の一般観客が書を鑑賞した場合どのようなことになるか。なんともこころもとないものを感じる。書の見方を教えたところで本当のところ、言葉だけでわかるであろうか。真実を理解することは極めて難しいであろう。やはり、筆を持っていただき、その体験悟人の中から書の見方もおのずと出来てくることが自然だと思うのだが。
前書きがながくなってしまったが、そうした現実を御理解いただき、書の見方についてあえて的外れなことを書き記してみたので参考までに。
(「書の見方について」以後連載予定)
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