[随筆 出会い─構え

掲載:2003/1/13

著作:野尻 泰煌(たいこう)

原稿:書藝要説2001年4月号より抜粋

 

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「部屋に閉篭っては筆で字を書いている。孤独な環境だ。」と、家族を囲んで訳のわからないことを話していた。
中学生の頃だったか、鮮明につまらぬその会話だけが妙に記憶にある。傍から見るほど本人は孤独とは感じていない。むしろ周囲が障りになる。その延長の仕事がそのままそっくりあるわけだが、今も尚思いは変らない。
 普段の生活では人と会話することは殆どなかった。一言もなく一日が過ぎることが続く。
人に会っても会話にならない。絶えず頭の中では筆が動いている。人は寡黙過ぎるという。敢えて寡黙にしているわけではない。仕事の性質上の結果であろう。社会性がまったくなくなっていた自己に気付きながらも、書くことの時間を選び取ってきたようだ。三十歳を過ぎた頃には人と会う機会も多くなり大分改善したと自分ではおもう。人の会話とは池に漂う浮草の如く感じで心地よい。たまには外へ引っ張りださなければいけないと案じてくれた友人もいた。
 さて、人生には自己を変えるほどの出会いが何度かはあるとか。変化するといっても前向きな姿勢で変転して行くことが第一。しかし、底に流れているものは終始共通して体内に存在する。只、書を書いているだけでも出会いはあるもの。もちろん家族の出会いなくしては当然私の存在はありえない。家族の支えは絶対不可欠。先ずは師に出会えたこと。弟子に出会えたこと。その中に妻君がいたこと。友人に出会えたこと。人生の師に出会えたこと。こうした人々に影響されながらも、人生にはおのおの人なりの歩むべき型が自ら決まっている様におもえてくる昨今である。そして余計な考えを入れず生きるままに生きればよいのだ。というところに落ち着く。行きつくまでには結構時間を要した。
 十代・二十代は無我夢中になって書き続け、何一つ分別がつかない自己の背があった。そこえ一つの燭火を点けてくれた人が石丸である。真実の自己を見つめ直す出会いになったようだ。師が亡くなり幸いそれにかわる人物の出会いで幹を太く肥やす好機もできた。今回この稿で紹介する伊福部昭先生との出会いである。
 厳密には出会いは幼少の頃に溯る。本人ではなく作品である。だれしも耳にしているあのゴジラの音楽。重厚で畳みかける旋律。ストラビンスキーを御会式の太鼓で融合させたような律動。そしてファリアの音感。これを合一して自己の語法として醸成している音楽。それでいて純粋に体に受けるものは東洋一色。ここいらが先生の凄いところ。現代音楽のように手法は日本的な素材を持ち出しながら、オーケストレーションは欧米的である為日本的には聞こえない。世界の耳は厳しく批評される日本の作曲家達とは一線を異にする。今となっては日本を表現できる唯一の作曲家。後にも先にも先生一人。そういう先生も先ごろのコンサート会場で出会った折には杖をたよりにしていた。足元が覚束ないようだ。なんだか焦りに似た衝動が込み上げてきた。
 私の三十代はこの先生の研究にあった。仕事には欠くことのできない方であることはいうまでもない。ことわっておくが、音楽と書をどのように混交させるかという安易で馬鹿げた考えは毛頭ない。ラーメンにカレーを入れてカレーラーメンに似た発想はいただけない。ラーメンぐらいならばこそそれも許されることであるが。考え方・生き方を仕事上のベースにしたいという理由からである。構えの問題。
 現代のマスコミで紹介される作家なり芸術家は、大概は浅白な感をはらえないのだが、先生に限っては違っていた。過去においては匹敵する人材も輩出したであろうが(分野に限らず)今現在では希。長期に渡る音楽修行をしている最後の方ではないかと思う。それだけに自己の中で魂を燃焼させ内側に向っていく生き方である。あるいは内側に向いて行かざるおえなかったのかもしれない。実際に本人に会ってその感をより強くした。人を美術品に寓意することは詮ないことかもしれないが満ちる含有量である。おそらく音楽だけでは計り知れないほど大人物。人を見て凄いと感じたことなど今だかってなかった。きわめて多くの人を眼に晒せ、接する機会があったが現代書壇にはいない。先生は老子を典書に人生を歩んでこられたようだ。まさに老子が蘇ったかのような風貌である。そして音楽などどうでもよくなってしまっていた。何時しか本人そのものを学ぼうと考えるようになっていた。先生は、戦前・戦中・戦後、仕事の上で酷評され続けてきた。作品発表の度ごとにむごい評がきつい鞭打ちの如く叩かれる。一番ひどい曲だとか。全く無意味。全く退屈な三十分間だとか。専門誌や新聞などに大きくかかれてしまう。当時の作曲界からは日本の芸術の進歩に対して有害とまで映ったようだ。業界から無視され続けた。作曲界が西欧に価値の対象をおいていた環境であったこと。また戦後は欧米のイデオロギーに範をもった国の傾向においてもいえる。それにしても見るからに風貌が凄い。人も叩かれ・叩かれ鍛え上げると、日本刀の名刀のようになる。打たれ強き見本。強固な精神性で内に向う姿である。それは作品にも伺われる。大方はその時代々々における通りのよい世評・評判に囚われ、他評を介在した歩みになる。それが全くない。介在したその部分だけ自己が消滅し仕事の焦点が惚けるものである。管弦楽法に記されている「定説によって自己の審美感を歪めるほど悪徳はない。」という言葉に結集するのであろう。
 世評・他を介在した歩みとは、打算と我欲で自己の本姓を忘却させてしまう時。表現活動には極めて大敵である。どうせなら私もこのような行き方をしたいと考えるようになった。今までにおいても行っていたかもしれないが、意識することで大分構えも変化する。以後、より一段と自己の本性だけで仕事をすることにした。本来の性質に己という甲冑を纏う。結果として現実の行動にも影響する。対外的に歯車がうまく噛み合わなくなる。したがっておのずから環境も異なる。より内へ向って仕事をするしかない。これに自己が耐えられるか。みずから試したくなった。一時期周囲がさわがしくなったようだが、自己は以前と同様変わらない。心は安定している。この面白い話はまた別の稿で述べたい。逆に体が健康になってストレスがない。以前から老子の研究と同時に日常のくらしにできるだけタイアップしてきた。なるべく先生の方向性でありたいと願いつつ。自分にとっては都合のよき歩み。今なにをやりたいのかという問いに対して自ら探っていく日々がある。自己の感性で選び取るのだ。
 そして、先生の研究の深度が益す。数少ない言葉や著作などから事細かに探る。発想展開を試みることにした。その人の言動で何を考え、いかに歩んでいるかが把握できる。自然とその人なりの背景が言動や著作に投影され写し出される。かなり深い箇所まで照らすことになった。最終段階は宗教の性質を帯びてきた。やはり芸術の根底は心である為、宗教性が加わることは自然の成り立ち。むしろ宗教性がかかわる芸術でなければ浅白といえよう。柳宗悦氏などは力説している。つまり宗教を倫理学の立場から介在する必要がある。先生の作品の全てが祈りの旋律になっていることからしてもわかる。
 先生の学ぶ老子は自然を強調する。(老子は宗教ではなく哲学・思想である。)無為自然の境地に立っておのずからそうなって行くまで時を稼ぐ。ゆとりをつくる。この間は何もしないのではない。形而下的な作業はなるべく綿密にしておく。先生が札幌二中時代。彫刻家の佐藤忠良氏に「運は練って待て」といわれたというが、まさにこのことである。そういう時の自分は余計な考えに囚われない時。なんらかの行動をしている。なんらかの想いが浮かぶ。歩みの断片が見付かり自然にかたちづくられる。自らのまま歩む時、なにかしらの型ができる。これが嘘偽りのない本性である。歩む方向性はその人にとって一つしかない。そのことを先生から学んだ。真からはっきり理解したことなど今までになかった。大変な感動と我が意を得た。こんなことをいうと盲目の信奉者に勘違いされそうだが、まったくもって心は冷静である。
 先生から得たものそのまま禅語の「大用現前するとき、軌則をそんせず」に類似する。これは個展の作品集の巻頭言にのせた。一般に禅は自力門であるといわれるが、私はこの言葉に他力を感じる。しかし、よく世間が把握する他力観念とは異なる。他力とは自己の外に存在するものとは違い、己そのものがもうすでに他力であるという考え方である。私は宗教家ではないのでそれを神とも佛ともいわず大自然と改めることにする。
 母を亡くした時、私が腰椎椎間板ヘルニアでやたら?矢鱈?しん?神?に障った時、その時々に「いったい人間とは」という問いが湧く。それを暫引き摺っていた。そして自分の体とはいえ、なに一つ分別がつかない自己に気付く。私の体であるのに私がわからない。ある種の意識は持たされてはいるのだが体そのものがわからない。真に把握していれば大自然もわかるはず。人の脳力を使ってもほんの微々たるもの、すべて理解出来得たなら芸術など霧散してしまうであろう。わからなくてよいのかもしれない。当然ではあることだが人間そのものが自然の産物ということ。大自然のめぐみ。大自然に生かされている。体も他力ということになる。つまり、自己の体の特色を知りそれに委ねる。個々の性質は千差万別。作為ごと企みごとを働かせず自己の本性を無為自然に委ねる。それを確かめる手段に知があると考えている。人にはそれぞれ大きな運びの波がある。それは自己の知に囚われない時よって来たる。その本性の波に全てを委ねることで、その人にとって最大限の可能性がひらかれる。こうして人生の歩みを私は他力で歩むと考えている。そして自己の余計な考えに囚われた時(打算と我欲で自己の本性を忘却させてしまった時)本来ある大きな運びの波がさざ波と化す。あるのは最小限の小さな可能性しかのこされてはいないことになる。このように述べてしまうと神懸りや宗教臭く感じられてくるが、私にはそうした概念は微塵もない。あるとしたなら三百六十五日ほとんど字を書く日々の過程においてそれを感じるだけ。伊福部昭先生を学び自己にタイアップしていくうちに、そのことがらに血肉をもっていきついた。私の場合、伝統の型で感性を研ぎ澄ますことにある。やはり悟性は二段階目から働く。
 現代は日本表現が問われている。が、なにも日本だからといって、素材そのまま現代に当て嵌めたとしても徒労に終わる。とにかくこの箇所の曲解が一般に多い。大切であるのは素材より日本の感性である。現代に息づく日本の感性が肝腎。中国の素材でも同様である。他力で歩む時、日本人であればおのずと日本の感性は表れ出るという。そこで先生がいう「芸術は民族の特殊性を通過して共通の人間性に到達しなければならない。」…なににつけ仕事の過程では民族性におけるプロセスが存在する。「芸術としての自立的な完成度が最重要。感性の認識にあって、尺度の根底に民族性がある。」という。書においては漢字文化圏内の一部。すくなくても中国・日本の種差ぐらいは手の内にいれておくべきだ。種差とは種族の違いである。血液で美感も異なる。種差が明確に表れるのは音感といわれる。別種の血液が混じると音感も混じる。如何交じるかが興味深い。科学的データーの裏づけが必要になるようだ。種差の混交でどのように変化するか。何が交ざり、何が残り、何が取り除かれるか。中国文化が日本文化に移行される時、興味はつきない。血液混交でなくても同じことである。日本表現とはこうした段階より垣間見ることができる。日本美感を把握するには朝鮮・中国にある。日本をより手の内にいれるには他方を知ることが先決。他方を把握すればその影響力は当然入る。しかし全てではない。日本表現が目的であって他方はあくまでも手段であるのだ。伊福部先生の世評は混合させた雑種的なエスニック・サウンドを創造した点にあるといわれる。が、はたしてそうであろうか。私にはそのようには感じられてこない。やはり日本表現につきるのではと考えている。
 先生の仕事も最終段階を向えていると考えられる。私の三十代は先生と共にあった。調子の高き人間の出会い。人を追及して自己の歩みを強制することの重要性を感じる。随分中身の濃い時期であった。一ファンとして深く感謝したい。仕事で得たなにかしらに時間を充分にかけて心で熟成させる。独自性である。自分は自分だけの天分を守って。自分に安んじて可。「是」である。単に他人の言葉や行動だけに依存してはならない。自己を主体的にどう律するか。孤独の末に見えてくるようだ。

 
本当の芸術というのは芸術らしくない。
二級から芸術ぶるんで、芸術らしくないところまでいかないと駄目なんです。
伊福部 昭

 上徳は徳とせず。是を以って徳あり。
 下徳は徳を失なわざらんとす。是を以って徳なし。

 

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